カナダでフランス語を話す人が多い理由は?

良く知られているように、カナダにはかなりの数のフランス語話者がいます。全体の2割ほどは、フランス語を母語としているようです。

このように、フランス語を話す人がいるのは、どういう経緯なのでしょうか。簡単にまとめてみました。

ヌーベルフランス

北米大陸のフランス植民地は、かつてヌーベルフランスと呼ばれていました。全盛期には、カナダからミシシッピ川流域までのかなり広い地域を誇っていました。

これは、ウィキペディアの次の地図が分かりやすいでしょう。かなり広い地域がフランスの植民地だったことが分かります。

ヌーベルフランスの最大領土

ヌーベルフランスの最大領土

このころ北米大陸に渡ってきた人たちが、フランス語を話すカナダ人のルーツです。

ちなみに、狭義には「1605年のシャンプランによるポール・ロアイヤル建設から,1763年のパリ条約によるケベック植民地のイギリスへの割譲(世界大百科事典 第2版)」の期間を指しますが、「1524年,ジョバンニ・ダ・ベラツァーノが北アメリカ大陸大西洋岸に到達して以来,1803年合衆国のルイジアナ購入により消滅するまで(世界大百科事典 第2版)」を指す場合もあります。

まあ、細かい年代は気にしなくても問題無いでしょうけどね。とにかく、かつてフランスの植民地があって、だからフランス語を話す人が多いというのがポイントです。ただ、18世紀の終わりころには、その植民地は無くなってしまいました。

辞書にない?

ちなみに、Yahoo!辞書で「ヌーベルフランス」で検索しても、関連項目が見つかりませんでした。その理由は簡単で、世界大百科事典もブリタニカ国際大百科事典も、「ニューフランス」として解説されていたからです。

ウィキペディアの英語版でも、ニューフランスでした。でも、書籍ではヌーベルフランスと書かれている事が多いんですよね。また、ウィキペディアの日本語版もヌーベルフランスです。

ややこしいですね。率直に言って、ちょっと厄介です。

7年戦争とパリ条約

さて、フランスが北米大陸から出て行った経緯を見てみましょう。7年戦争という戦争が契機になっています。

7年戦争は、次のような戦争です。

1756年から1763年までの7年間、シュレジエンの領有をめぐって行われたオーストリアとプロイセンとの戦争。また、これに関連したフランス対イギリス、ロシア対プロイセンの戦争。結局、プロイセンはシュレジエンを確保し、フランスはカナダ・インドの植民地を失った。(デジタル大辞泉)

ちなみに、この戦争の北米大陸での戦いを、特にフレンチインディアン戦争ということもあります。また、この戦争の講和条約をパリ条約と言います。「ケベックなどカナダの領土とミシシッピ川以東アパラチア山脈までのルイジアナをイギリスに割譲(ウィキペディア)などが決まっています。

ちょっと余談ですが、実はパリ条約というのは7年戦争の講和条約以外でも出てきます。例えば、「1783年、アメリカ独立革命の結果、イギリスがアメリカの独立を承認した条約。(デジタル大辞泉)」もパリ条約です。ですから、1763年のパリ条約と言わないと、誤解を与えてしまうわけです。

さて、カナダとの関連で言うと、特に重要なのは、イギリスとフランスが戦争をしてイギリスが勝ったというところですね。フランスはカナダを手放すことになっています。

ただ、フランスが負けたからと言って、フランスの植民地に入植している人たちは簡単に出ていくわけにもいきません。その人たちの多くは、イギリスの植民地となった現在のカナダにとどまるわけです。これが現在のフランス系のカナダ人のルーツという事になります。

ちなみに、フランス革命が1789年からですから、ブルボン王朝の末期にあった出来事と言って良いでしょう。

フランス革命の原因には財政危機も指摘されています。こうした戦争がフランス革命を招いた一因であるという言い方は出来そうですね。

ケベック法

もともとフランス領だったところに関して、イギリスはケベック法という法律を作っています。次のような法律です。

1774年6月 22日イギリス議会で成立したカナダ統治の法。カナダのケベック地方の行政をケベック植民地総督と植民地議会にゆだね,フランス民法典とローマ・カトリック信教を維持することを承認。(ブリタニカ国際大百科事典)

ようするに、ケベック地方に特別な恩恵を与えたわけです。今までの法律に従って生活できるという保証と、カトリックの信仰を許したわけですね。

フランス植民地に住んでいた人たちの伝統や慣習を尊重しようという法律でした。

ただ、これに反発した人たちもいます。アメリカ独立戦争の要因の一つが、このケベック法なのだそうです。逆に、カナダの人たちは、ケベック法が自分たちに有利だと考え、独立戦争に参加しなかったという要素もあります。


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